松戸話し方教室の講師が、話し方を解説するために考えた内容です。


●あいさつには上がいた 田村 隆昌

  東京荒川区無形文化財に「犬張子田中」の家があります。江戸時代から犬張子を作りつづけていらっしゃるそうです。
 今の皇太子が誕生された時、犬張子を皇室に献上されたと聞きました。その実家を持つ田中夫妻が同じマンションの1Fにおられます。主人は元郵政省にお勤めだったと聞いております。何年か前に関西の神戸を最後に、郵政省をリタイヤされて帰ってこられたようです。
 奥さんは、小柄な方でその時から挨拶する様になりました。朝、出勤の私とゴミ捨てから帰られる奥さんと出会い「おはようございます」と、ことばを交わします。丁寧に挨拶をする人だなと思っていました。
 郵政省で、官舎に入り、色々な方と出会い、偉くなると、また頭を下げる、これも生き方かなと最初は思っていました。しかし田中さんの奥さんに会うとなんだか気持ちがいい、なぜだろう?と思うようになりました。 そんな、失礼ですが、特別美しい人でもない方だし、ある日、突然気がつきました。
 “おはようございます”顔を見て、笑顔を浮かべて、そこに止まり、両足をそろえ、両手を前に揃えて、深く頭を下げて、お辞儀をされるのです。アッ“おはようございます”と返す私に、そのあとで、「いって、いらっしゃいませ!」のことば、がかかる。
 挨拶をすることの大切さはいつも教室で生徒さんに話しています。しかし、立ち止まり、両足をそろえ、手も添えて相手を見て、笑顔向けて挨拶をする。そこまで話したことも、自分で気をつけたことも有りません。常に通りすがりに会釈して、ことばを交わす。これが 挨拶だと思っていました。
 「すがすがしく、認められた。」挨拶してよかった、と感じることができる挨拶をすでに身につけている方がいる。
 田中さんは、私だけでなく、会う人みなさんにそのようになさっています。相手を大切に扱う、なかなか難しいと感じますが、とても 気持ちいいんです。
 私のマンションの入り口はエレベータが在り、両側に二軒の家の玄関扉があります、各自の玄関扉の上に来客用の照明灯があります。個人用で、訪問者があるとき、玄関に出て対応するとき使用する明かりです。深夜帰るとエレベータ前の電気だけでは少し暗くさみしいなと感じますが、田中さんは、夜 その電気を1年中、つけていらっしゃいます。
 そのうちに、玄関の扉には、季節に合った風景・動物・雪景色・童話の世界、等パッチワークの作品が一枚飾られるようになりました。エレベータを待つ間に、その作品を拝見しますが、質素で気品があります。ご主人の実家で玩具づくりを色々手伝ううちに好きになったの、今も習っていると妻に話されたそうです、疲れて帰る私は、心が和みます。
 その人を思う心が、エレベータを待ちながら感じられます。人を大切に思い、扱い、認める姿が、挨拶にも現れていると感じるとき、田中さんの人柄の素晴らしさを感じます。「あいさつ に上がいた」とは、相手を思う気持ちが、つくり出す挨拶だと思いました。
 皆さんも挨拶に工夫を。 


●心が温かくなる話  佐藤 智子

「そのひとこと」、一通の手紙が受け取った人や周囲の人を温かく幸せな気分にしてくれる、そんな話をある寺のご住職から伺いました。
 ある日見ず知らずの女性から住職宛に荷物が届きました。中には手紙と菓子折りそして一万円が添えられていたそうです。手紙には「親戚にお世話になっていた頃、よく近所の子どもたちにいじめを受け泣かされていました。そのいじめっ子をお坊さんが叱ってくれ、お陰でその後いじめられなくなりました。土地を離れてこの年齢まで生きてきましたが感謝の気持ちを忘れたことはありません。八十も過ぎるといつあの世に旅立つかわかりません。そう思うと『あのときのお礼をしなくては人生に遣り残しができる』と思いお手紙をさせていただいたのです」というものです。
 住職は女性に電話し、本人はすでに五十年も前に他界していることを告げ「父にとっては当たり前のことをしただけでしょう。それなのに長いことこのように思っていてくださってご連絡までいただけたことは本当に嬉しく思います。こちらこそ感謝します」というと、電話の向こうであたかも手を合わせているのではないかと感じられたというのです。
 住職は「五十年も温めてきたことばは重みがありますね。それをこのような形で伝えてくださった。中々できそうでできないことです。お陰で私や私の家族、お話をさせていただいた檀家さんまでもが温かい気持ちになりました」と結ばれたのです。
 中桐雅夫の作品だったと思いますが<あのときの 言いそびれたる 大切の ことばは今も 胸に残れり>というのがあります。
 私自身振り返ってみますと、心の奥にどんと位置しているにもかかわらず言いそびれていることや「いつか、いつか」と引き伸ばしているものがあります。そうだこの女性のように伝えなくては。「伝わってはじめて~」などと講義している自分を反省し、早速手紙を出したり訪ねたりと行動した私でした。


●とっさに出た「ありがとうございます」 西田 チエ子

 話し方教室で40代の女性から聞いた体験談に深く感心したことがある。
 旅行の帰り、家族にたくさんのお土産を買い、彼女はウキウキした気分でタクシーに乗ったが、買い物を思い出して、自宅近くのコンビニの前で降りた。
 付近には、チンピラ風の若者がたむろしていた。買い物を済ませ、いざ払おうとすると、財布がない。さては、さっきタクシーを降りたときかもしれない、と、急いで戻った。すると、強面の男性が見覚えのある黄色の財布をズボンのポケットの中に入れようとする光景が目に入った。そのとき彼女の口からとっさに出たことばは、「あっ、ありがとうございます。拾ってくれてありがとう」だった。笑顔をたたえた彼女の大声に、その男性は苦笑いし「俺に拾われてよかったね、ネコババするところだったよ」と、ぽんと財布を投げてよこした。その動作にも彼女は「ありがとうございます」と深々と頭を下げた。
 財布にお金は2万円ほどだったが、大事なカードや名刺など、お金では買えない思い出も入っていたので、「ああ、よかった」と胸をなで下ろしたという。
 もしこの場面で、彼女が「私の財布拾ったでしょ、返して下さい」とでも言ったらどうなっていただろう。「拾ってねぇよ、俺を泥棒よばわりするのか、てめえ」なんて、ケンカになっていたかもしれない。 それにしても、彼女の機転のきいたとっさのひと言はどこから出てきたのだろうか。
 とっさの時には人の地金が出てしまうもの。彼女はこの地金をふだんから鍛えていたのではないかと思う。人は誰でも自分が一番可愛い。だから相手がどんな状況の時でも、相手の自尊心を守る話し方が大切だということをいろいろなところで学んでいたのではなかったか。それがとっさの時に、「ありがとうございます」ということばになって出た。そして、それが、若者の出来心を「善」の方向に向かわせることになった、そう思う。
 人の話にはとっさの時にふだんが出る。ふだんの何気ない話し方に少々意識的になることで、人との関係がトラブルを起こさないで済むものである。